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〔続 スイス悠々〕

(11)Regio車窓堪能的乗り鉄記念日

間もなくアンデルマット[A]駅:待機車両[a]に注目(左)。アンデルマット発の普通列車はトンネル内で方向を転じつつ山腹を登る(中・右):[A]駅→b→c→d→e方向に走行。[F]フルカ峠方面。[R]ローヌ川。待機車両[a]

 中病時代、小児病棟で看護婦(当時)から誘われてある設問に回答をした。小児性の資質がとても高かった。今でも同じことと自認している。幼少時の体験が根底にあることも承知している。某薬品会社の求めで執筆した拙文を引用する。
 祖父の布団で寝る際に、ボーと汽笛の音が聞こえる夜があった。「直江の鉄橋を通過する時だ」と聞いた。出雲平野の西南に位置する直江の現地に、畑地を通過する鉄橋があった。簡易踏切があり、蒸気機関車が力強い汽笛をならしていたのだろう。南風の夜に聞いた当時から60年余が過ぎた。
 自身の郷里は雲州平田で、一畑電車の基地がある。幼児期から学童期に、夏・冬・春休みに母の実家がある大社へ、風呂敷に包んだ着替えを持ち、バタ電に乗った。一方、母の姉が今市(出雲市)に嫁いでいた。母と今市に寄って、大社に行く際には国鉄大社線に乗った。大阪から下った蒸気機関車の牽く列車が支線の大社まで走っていた。客車に憧れた。
 1米ドル360円時代の学生時代、西欧は夢のまた夢で、バイトで貯め、国鉄の北海道均一周遊券で巡るに留まった。医師になり、鳥取県の自治医大卒の研修医がユーレイルパスで巡った話を聞いたが、県立中央病院勤務時代は非現実だった。
 還暦記念にライフスタイルを変えた。9季を過ぎたカヤックなどと共に、自身で自立的に西欧に行く実践を重ねた。端緒は単独行のロンドンでミュージカルとクラシック演奏会。翌2012年にウィーンを体験し、国立歌劇場、楽友協会や、国鉄での日帰り旅行などが年中行事になった。

幼少時から憧れた光景の現実は想定以上(左)。列車最後尾に居て、窓の開く車窓は右に左に楽しい限り(右)

 鉄道で巡る憧れのスイス初体験は2015年に実現した。8日間友好のスイストラベルパスを活用した単独行の企画を立てた。自身、想定外の達成感があり、(妻を誘う予定だったが、孫娘の世話で動けず、)後輩を誘った。彼は4年間で3回同行した。
 毎年1回、計5回スイスを訪れたが、7連泊するホテルの確保が課題で、基幹駅からの利便性と(勤務医ゆえの)価格を考慮し、朝食とWi-Fiが無料の条件での検索は約1年前の作業。トラベルパスゆえ、天気予報を確認しつつの探訪が出来るのは幸いで、窓が開く旧車両などを求めての乗車です。
 以上が引用(後略)で、一体、誰から受け継いだ遺伝子なのか・・・。窓から顔を出して、列車と景色を堪能する遺伝子の発現は、大脳機能が劣化するまでは、子ども心の楽しみが持続する。
 天候、窓の開く車両、車内が混雑しないことなど、諸条件が整って、堪能できるわけです。幸い、自身が選択する山岳地を走る各駅停車の車内が混雑することは、まずあり得ない。
 これらの条件が整って、自己評価で、伸びやかな、嬉しい写真が残せていることに感謝至極です。

反対列車待ち(左)。氷河急行だった。富士山のロゴも(左中)。窓が開かない氷河急行(右中)を、お見送り(右) 

 当地は山岳路線のMatterhorn-Gotthard-Bahn(MGB)であり、山陰線同様の単線です。ゆえに、待避線がある駅では、反対列車を待ち合わせることがあります。
 オ!氷河急行がやってきました。小生は列車の最後尾にいるので、氷河急行が入線すると牽引する電気機関車が速度を落として真横を通過します。関係性が出来て25周年を記念するロゴが入った[マウント富士号 MOUNT FUJI」との遭遇を体験しました。
 氷河急行は速度を落としたまま、駅に停車することなく、通過して行きました。勿論、最後尾のデッキに立ち、見送りました。
 この路線はマッターホルンを冠したMGBですが、富士山との関係性は??

下る氷河急行が撮れた(左)。列車最後尾の光景(中)。谷が浅くなり、間もなくオーバーアルプ峠に到着(右)

 車窓を眺めていたら、思いがけないことでしたが、氷河急行が下る様子を目にし、撮影が出来ました。撮影時は、既に、乗車しているRegioも走っており、眺め得たのは瞬時と表記できるほど、極短時間のことでしたが・・・。日本の在来線と同じ狭軌のレールの中央に歯車があるラックレールとフルカ峠方向の高山とのコラボを最後尾から・・・、やがて、車窓から眺める谷合が浅くなっているのに気づき、峠近くとの認識をしました。

オーバーアルプ湖が見えて来た(左)。湖岸の北側沿いを走行(中)。間もなく同名の峠駅に到着(右)

 スイス政府観光局のサイトに山上湖トが15紹介してありますが、例外を除き、自力で歩いて湖畔にたどり着きます。
 例外は、ベルニナ地方のLago Biancoラーゴ・ビアンコ(ビアンコ湖)と当Oberalpseeオーバーアルプ湖です。なお、湖畔を列車が走るLago di Poschiavoラーゴ・ポスキアーヴォ(ポスキアーヴォ湖)は谷合にあるので、自身は山上湖には含めていません。
 オーバーアルプ湖は、東西に長く、北側湖畔を列車が走行します。湖の中ほどは、雪対策で湖畔側が空いた雪庇トンネルが続き、これを抜けると湖東端に位置する峠駅に到着します。
 Oberalppassオーバーアルプ峠の標高が2046m、湖は同2026mとありますが、峠名の駅舎が2046mで、峠まで高低差0m、水平距離200mとありますので、山上湖の名が相応しい湖です。
 乗車してきたRegioはしばらく停車していました。車窓から湖を眺めていたら、至近のトンネル入り口から列車通過音がし、同方向を眺めていたら、峠へと軋み音を鳴らしながら登って来た反対列車が到着しました。思いがけず、多くのハイカー、そして、ホームで自転車を押す人たちが降りて来ました。
 この界隈のハイキングないしトレッキングの有名地としては、前ライン川の源流とされるトマ湖があります。自身、いつか機会に恵まれたら、当駅からトマ湖への往復を狙っています。

駅停車中:湖畔対岸に雪庇トンネル(左)。陽光で湖面が変化(中)。反対列車から思いがけず多人数が下車(右)

 トマ湖をkomoot(www.komoot.de)で検索すると、峠から南方向へ主に山腹を歩き、往路2時間15分、歩行距離4,55km、上り390m、下り70mと分かります。初めてのルートなので、片道3時間、往復で7時間のゆとりを持って臨むとなれば、当地への往復に要する時間を含め、ほぼ全日の行程になります。雲が湧かない天気予報の日にとの想定です。

“前方ライン”源流域を走行:小集落上の山腹に駅(左)。通り過ぎた光景(中)。待避線を超えて乗車する客(右)

 当地を訪れる際に知ったことですが、ライン川はスイス南部方面の西側に起源がある“前方ライン”と南側から北へ流れる“後方ライン”が、Reichenau ライヘナウで合流し、古都Churクールを過ぎてから北上し、スイス、オーストリア、ドイツの国境を成すボーデン湖に注ぎ込み、その後、西に転じて、スイス、ドイツの国境を流れ、バーゼルで北に転じて、ドイツ、フランスの国境地帯を流れ・・・と知りました。
 ライン川の実体験は、多くの方がツアーでの船旅でしょう。自身、2005年に格安ツアーでリューデスハイムからローレライまでの船旅を楽しみました。当時は、ライン川の源流地帯など、発想すら皆無でした。それから13年を経過し、トラベルパスで、単独で、各駅停車の車窓からライン川源流地帯を走行体験することになろうとは・・・。
 峠のトンネルを抜けると、渓谷の山腹を下って行きます。面白い地勢が見えてきました。山腹にコブのようにせり出した地に、小さな集落があり、この上側に駅がありました。駅名はTschamut-Selvaで、待避線が谷側、列車は本線に入りました。小さな駅舎に数人の人が立ち、何と、待避線を越えて、列車に地上の線路面から乗車したのです。初めてかな・・・、珍しい光景でした。
 Oberalppassを発ち、11分走った最初の停車駅Tschamut-Selvaで、後方の景色をも眺め、撮りました。標高1450mとある当駅まで11分で約600m下ってきたことになります。谷を降りていけば、通常のレールになりましょうが、山岳地はラックレールが続きます。

列車最後尾からの景色は楽しい(左・左中)。谷が深く、渓流も視認(中)。“前方ライン”源流の流れが撮れた(右)

 車窓から前方ラインの谷を眺め続けましたが、山を下る渓流は別として、谷底のライン川の流れを目に留めたのは1回のみで、幸い、タイミング良く撮れました。線路側に流れがあり、小さな滝を成していたのです。小さな流れが、やがては豪壮、雄大なライン川になる(成る、育つ)のだと、ある種のロマンを感じた次第でした。
 やがて、谷が広がり、気づくとラックレール区間が終わっていました。待避線に停車中、反対列車が徐行し過ぎます。アリャ、最後尾に開放型の嬉しい車両が・・・。通常、偶然の車両なのか、或いは、グループが割増料金を支払って、連結しているのかなど、勿論、詳細は不明ですが、チャンスに恵まれればと願うばかりです。
 2005年に初めてスイスを訪れた際の全日自由日に、シーニゲプラッテに上がった際、窓のない車両を目に留め、「下りはあの車両が嬉しいナ」と妻が希望を話したのですが、幸い、選択した下り便は窓のない開放型車両の編成で、空気感・皮膚感を含めて、車窓を堪能したことを思い出します。

反対列車待ち(左)何と楽しい最後尾車両!(左中)。下車地が近づいた(右中)。当地の駅で折り返します(右)

 今回の単独各駅停車の旅は、予定通り、Disentis/Mustérでの折り返しです。駅名はドイツ語のDisentisディセンティスとロマンシュ語Mustérの併記です。ロマンンシュ語は全く馴染みがないのですが、古代ローマ時代からの歴史がある当地方に残る言語で、スイスでは主体となるドイツ語、ジュネーブなど西部方面のフランス語、ルガーノなど南方のイタリア語と、ロッマシュ語の4つが国語です。前3語と英語を含めると、4か国語が話せてフツウ!小生も自身を揶揄して「4か国語しか話せない!」と自己紹介することがあります。「出雲弁、標準語モドキ、大阪弁模倣と苦手な鳥取弁です!」と。
 さて、当地の行程の本音は、さらに下り、“スイスのグランドキャニオン”との呼称がある地帯・ライン渓谷の走行も・・・ですが、時間的ゆとりはありません。今後の課題です。
 復路は、再び各駅停車で、アンデルマットに戻り、さらに初体験となるRealpレアルプから氷河など雄大な景観を眺める車窓を失ったフルカトンネルを通過し、Oberwaldオーバーワルトで下車し、バスでGrimselpass グリムゼル峠を越え、北上し、終着マイリンゲンで、鉄道に乗り換えです。さらに、インターラーケンで列車を乗り換えて、グリンデルワルトに到着。無事、ヒロさんと合流し、定番的にチーズフォンジュと白ビールを堪能しました。
追記:気になり「マッターホルン 富士山 25年」で検索すると、ヒットしました。「富士急行、スイスMGBとの提携25周年」とあり、2016年の記事でした。富士急行(www.fujikyu-railway.jp/)が公開しているロゴには「FUJIKYU RAILWAY - MATTERHORN GOTTHARD BAHN  SISTER RAILWAYS SINCE 1991」が記載されていました。電気機関車のロゴとは若干異なっていますが、富士山とマッターホルンが並ぶデザインは共通です。

[2019/2/12 up]

※ 本稿は鳥取県東部医師会報 随筆欄に掲載・連載(レイアウトは異なります)

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