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〔続 スイス悠々〕(21)新春の夢想 :1月号掲載 / 2022年 

 

 スイストラベルパスを活かした自由旅行が2015年から5年続いた後、2020年初夏はサン・モリッツに滞在し、同地方の夏季独自規格ベルグバーネン・インクルーシブBergbahnen Inklusive)を活かした自由旅行を設計し、催行を決め、航空券とホテルの購入を済ませていました。
 が、新型コロナウイルス(新コロ)禍のため、計画は中止。Stay Homeの最中、ならばと、山陰海岸ジオパーク県内での
カヤックは11年目にして最多回数の出艇となりました。2021年も新コロ禍は収束せず、沖縄のサンゴ礁の海でのカヤックを夢想したのですが、緊急事態宣言で没企画とし、地元での漕艇に終始。

 
自身、海・湖・河川と観光船・ボート類に関心を抱き続けています。
 幼少期に母の実家がある大社町(当時、簸川郡。現、出雲市)に、休暇中は約1週間滞在し、いとこたちと戯れていました。泳ぐ真似程度だった小学校の低学年の夏に、日御碕灯台の東に位置し、出雲松島の形容もある 
おわし浜海水浴場 に皆で出かけ、舟も体験しました。この際、透明度の高い海に魅せられたことが、今に至る感動体験です。
 長じて、鳥大に入るとヨット部に入り湖山池に親しみました。2年目は先輩から選択を迫られ、
マンドリンクラブを継続しましたが、40年を経て、還暦を迎える年の初夏にカヤックを始めたのです。

 

ハンプトンコートからリッチモンド間のテムズ川ボート体験(写真左上から右下への航行):途中lock関門を通過することで、ロンドンっ子には人気のコース:好天の日曜日を過ごす河畔、川面の光景は秀逸だった。

 
一方、還暦を契機に西欧の自由旅行を始めました。ホームズファンの妻はロンドンを訪れたことがなく、当時、二人ともミュージカルに傾倒していたことから、ロンドン行を決定。

 シミュレーションも趣味の一つで、Skygate で航空券とホテルを一人13万円弱の底値で購入しました。
 ホテルは大英博物館から800mの中心地にあるロイヤル・ナショナルで、朝食付を選択。初めての地では、交通の利便性を重視してホテルを選択します。ロイヤル・ナショナルは、ヒースロー空港から地下鉄ピカデリー線で50分の乗車でラッセル・スクェア駅で下車し、至近地にあることで決めました。
 航空券は、関空発着、仁川経由のロンドン往復で、燃油代、空港利用税等を全て込み。

 海外旅行の価格を知る某看護師は安全等を訝ったようでしたが、仁川からロンドンに飛ぶ機は新鋭のB777機で、世界的に評価が高かったアシアナ航空でした。
 ロンドンと言えばテムズ川。
Transport for London で調べ、地下鉄(郊外は地上線)で上流のハンプトンコートに移動しました。同宮殿・庭園を巡る前に、桟橋に立ち寄り、便数が少ないボートの出航情報を得ました。当時、ネットでは情報が不十分だったのです。桟橋至近の小屋で、出航時刻を確認して正解でした。
 出かけたのは天候に恵まれた日曜日。ロンドンっ子・大人たちが憩う姿を目に留めつつのボート巡りは貴重で、途中に関門
Teddington Lock を通過体験できるのも楽しみでした。高級住宅街のリッチモンドまで1時間余の小旅行は秀逸で、アナタにもお勧めです。10年余を経て、調べるとHP情報は充実していました。参照:London’s Finest Value Excursion 

2セーヌ-2000.jpg

火災前の大聖堂。シテ島、サン=ルイ島を過ぎると、セーヌ川を左折し、関門に進入(中上;船尾)。バスティーユ広場下からは長い地下水道に進入(中下;船首)。通気と採光用の丸窓、セーヌへ下る貨物船との行き交いにも小躍り(右)

 
2012年は妻の還暦記念で、パリに7連泊しました。セーヌ川の観光船は著名ですが、ツアーで馴染みがないサン・マルタン運河の航路を選択。バスティーユの地下水路や10以上の関門を通過し、時間をかけて進むボートは、幸い、彼女が「Non」としなかったので、小生の関心で体験し得たのです。
 
Paris Canal のボートに、オルセー美術館至近の桟橋(河畔を西へ200m;同美術館の眺望に優れ、対岸のオランジュリー美術館を結ぶサンゴール橋の西直下)で乗船します。
 コース[
Musée d’Orsay → Parc de la Villette]の前半は、オルセー美術館、ルーブル美術館やノートルダム大聖堂などの名所を眺めつつ、シテ島、サン=ルイ島を通過後にセーヌ川から左折。北方向に向かうサン・マルタン運河に入り、即、高低差の大きい関門を“昇り”ます。そして、正面にバスティーユ広場に建つオブジェを目に留め、右にはオペラ座・バスティーユの大きなガラス張りのモダンな建物(:劇場内は、馬蹄形のガルニエ宮と比べ、大き過ぎて小生は好まない)を眺めつつ、地下水路に進入します。前方は暗闇で、丸窓の明かりなど、ガルニエ宮の「オペラ座の怪人」をも思いつつ・・・。
 地下水路を通過すると即、関門。観光名所・公園の雰囲気が漂う水路・関門をゆっくりと進みます。
同社のHPにある観光図には、セーヌ川と分離する際の関門のほか、地下水路通過後に4か所の関門が示されていますが、各々が2・3連の“昇り”でもあり、初体験者には驚嘆必須の光景です。
 ボートが停船し、動かないので、怪訝に思い前方を注視すると、道路橋が運河を塞ぎ、赤信号が点灯!やがて、道路橋が支点を基に回転し始め、水路が開いたら青信号となり、ボートはゆっくりと前進。歩行者、自転車や自家用車などを左右に見ながら、関門へ入りました。道路橋が元に戻るのと連動的に、下流域の水門が閉じて、上流側から勢い良く水が関門に流入し、ボートが“昇り”ます。
 

3セーヌ-2000.jpg

長い地下水道を抜けたら即、関門:二重・三重の関門が続くサン・マルタン運河(高低差25m、1825年の開通)です。関門を通過し、広くなった運河を進みます(左;船尾)。道路橋上流側の関門を通過中(中/上下で水位差;船尾)。下流側の水門が閉じると、上流側から水が流れ込み(右上;船首)、やがて、水門が開くと緩速で進みます(右下;船首)。

 
 上流との水位が整うと、ゆっくり水門が開き、ボートが進みます。関門にはボートの進行を妨げないように、アーチ形の歩道橋が整えられており、カップルなどがのんびりと関門を眺めている様子を含め、樹木に恵まれた運河の周囲は心が安らぎます。両岸にはカフェやお店が点在しています。

 高低差、計25mを“昇り”終え、 Parc de la Villette ラ・ヴィレット公園で下船。園内をゆっくり700m散策し、メトロCorentin Cariou駅へ。

 
ドナウ川流域のウィーンは2012年5月から8年間で10回、オペラ等の研修機会に恵まれました。観光船・クルーズは、市内のドナウ運河巡りと、近郊の地にある世界自然遺産のヴァッハウ渓谷が馴染みです。後者は本会報(No.433: p.46-50, 2018年1月号)に掲載済です。

 

4ドナウ-2000.jpg

ドナウ運河クルーズの基地はSchwedenplatzシュヴェーデン・プラッツ:観光船は船首を上流に向けて停船中(左上)。出航後、シュテファン大聖堂の尖塔、河畔の天文台などを眺めつつ(左下)緩徐に後進し、運河に注ぎ込むウィーン川に船尾を入れ、方向転換し、船首を下流に向けます。船尾でワインを飲み(中上)、船首へ移動(中下)。緑豊かな運河を南下し続け、ドナウ本流が見えて来た(右上)。本流に出ると即、反時計回りし、船首を上流に向けます(右下)

 
 大河・国際河川の“美しく青きドナウ”は、100年余の昔は文字通りの色合いであったと夢想します。が、現実のドナウ川の色合いは残念ながら異なります。ウィーン界隈で氾濫を繰り返してきたドナウ川の治水は、エリザベートの夫であるフランツ・ヨーゼフ1世皇帝が、城壁を崩し、リング通り
Wiener Ringstraßeを造る一方、河川改修も行い、氾濫を抑制するに至ったと理解しています。
 国際河川の本流には、船腹、船高や、船底の深さは、河川であるがゆえに制約がありますが、一方、全長が驚くほどに長い、大型観光船が行き交います。これを通過させるための大規模な関門が、ドナウ運河の南端付近にあります。関門の仕組みは同様ですが、上流部の水門はドラム式の構造でした。
 約30分を要して、関門域を抜けると、右に高層ビルが立ち並ぶ国連地区を眺め、ドナウタワーなども。

 伸びやかな環境の中、約1時間上流へ航行し、ドナウ運河の北端に近づくと、ウィーン市の北に位置する山稜カーレンベルクを眺めます。山腹にはワインヤードが広がり、裾野はベートーヴェンゆかりのハイリゲンシュタットです。
 

5ドナウ-2000.jpg

運河を出て、ドナウ本流を北に進むと、右に堰、左に関門を眺め(左上)、減速し、大きな関門に入ります(左中)。船首[白→]と船尾[赤→]を移動しつつの撮影。管制塔の操作で、船尾・下流側の水門(左下)閉鎖後に、関門に注水が開始され船が浮上します。
本流の上流に水位が揃うとドラムが回り(中上)[写真右上の関門は、上流側のドラム式水門が閉鎖中で、水位は下流と同じ]、船は関門を抜けます(中中)。停泊中の大型観光船・ホテルシップは少なからず(中下)。
本流から左回りに運河北端へ入り、即、関門に進入(右中上)。水位を下げ、関門内を下流側へ微速移動(右中下)。
関門を抜けると、左側の堰からの流れと合流。鉄道橋・
道路橋を眺め(右上)、ウィーン名物フンデルトヴァッサーのごみ焼却場横も通過(右下)し、出艇した桟橋に戻ります。その際、ウィーン川を活かし、船首を上流へ反転して係留。

 
 ドナウ運河は北端が交通の要所でもあるハイリゲンシュタットの東にあります。観光船は、本流と別れて、再び運河に入りますが、その際も高低差の大きい関門を通過し、下流域の水位に合わせた後の航行です。本流もですが、運河の流れは早く、人力によるカヤックやボート遊びは不可能です。
 ドナウ川の改修後、本流と
Neue・Alte(新・旧)Donau がほぼ南北に連なります。新ドナウは、水位が低く、増水期における遊水地機能を有し、南北に堰があることで、船の航行もありません。本流との間はDonau Inselドナウ島(南北方向に約21km強、幅は70~210m)で、市民憩いの地です。一方、旧ドナウは、河川改修以前の遺残・三日月湖の形状で、流れを感じないほどに穏やかです。
 湖のようなアルテドナウには、ヨット、ボート類が係留され、水浴場もあります。北端域はWasserpark(邦訳が見出せず、親水公園)があり、自身、岸辺のカフェを含め、好む地です。本会報(
No.435: p.56-60, 2018年5月号)でもご紹介しました。

 アルテドナウの南の地域は今でも湿地帯で、大小の三日月湖、ないし、その痕跡が地図で読み取れます。(日本で有名な三日月湖は石狩川!と今、思い出しました。)
 
ウィーン観光局の日本語サイトは、ドナウ旧流(アルテドナウ)を以下の解説をしています。「美しい庭園、日光浴用の芝生、テラスのあるレストラン、遊歩道やサイクリングコース、ボート、ペダルボート、月光を浴びながらロマンチックなボート・・・。」
 夢想は自由です。利便性の良いU1(地下鉄1号線)で、旧市街から東へ。鉄橋で本流、新ドナウを通過後、高架の国連前駅で下車すると、ビル群の反対・南側至近にKaiserwasser(皇帝水浴場)があり、夏には海水浴ならぬ水浴で賑わう地とみました。かつ、調べたら、業者カヤックの出艇地にもなっていました。自身がウィーンに行くのはオペラや演奏会シーズンです。オペラ・演奏会主目的のウィーンで、カヤックとなれば、服の収納とカヤック・・・。スーツケースに納まれば実現します。納めます!

 

6サン・モリッツ-2000.jpg

ベルナーオーバーラント地方に連泊し、山の天候に恵まれなかったがゆえに、“乗り鉄”で遠出した初体験のベルニナ地方。秋色に魅せられていた往路の車中(左)。復路は青空が見え始め、往路で見えなかったモルテラッチ氷河も眺め得た(右)

 
夢想皆無から実現したのが2015年から5年連続のスイスです。ベルナーオーバーラント地方に連泊し、トラベルパスを活かして巡りました。初体験した帰国時に(2016年は妻と約束していたので)、「2017年は初秋のスイスを体験する」と発し、即応した彼と共に催行しました。が、初夏と比べて、山には雲がかかり易く、結果的に、降雨を避けることが出来る地へと“乗り鉄”を楽しみました。その一つが「見どころに富むベルニナ」で、本会報(No.439: p.41-46, 2019年1月号)に書きました。
 その後、“スイスでカヤック”を夢想。サン・モリッツは山中にあり、至近に山岳鉄道が多く、朝ホテルを出ると、夕刻までには自室に戻れる時間・距離で、時間を持て余しそうに思えました。かつ、、当地は東西方向に長いU字谷に、三つの湖が連なります。艇、折り畳んだパドルと電動ポンプを袋に入れて路線バスに持ち込むと「漕げる!」し、日暮れは21時頃で、遅いと気づいたのです。
 当初、カヤックをAmazon UKで購入し、連泊するホテルへの送付を想定。が、初夏のスイスは軽装で、スーツケースの片面が空くことに気づき、装備を詰めてみましたら、難なく収納できました。
 湖はSankt Moritzersee サン・モリッツ湖(標高1761m;最大長 1.6km;面積0.78㎢)、Silvaplanersee シルヴァプラーナ湖(1791m;3.1km;2.7㎢)、Silsersee シルス湖(1797m;5km;4.1㎢)の三つ。広さは及第点で、各湖の出艇可能地を、バス駅からの距離も確認しつつ、地図で探し得ました。
 なお、砂丘による堰止湖の Lake Koyama 湖山池は東西3.6km・南北2.4km;6.99㎢です。

 

7サン・モリッツ-2000.jpg

快晴になった復路の後半は、二人とも言葉を発することなく、輝く秋色の車窓に魅せられていた。乗換をする駅・ポントレジーナ停車中(左)と気づかず、発車後も無言(中)。イン川の秋色にも魅入ったままで(右上)、対面の列車に気づいた時点で「しまった。乗り過ごした。サン・モリッツだ!」(右下)は後の祭り。駅舎内に留まり、バーで生ビールを注文し、1時間遅れで帰還

 
 サン・モリッツでは、Bad温泉地区のホテル連泊を決めていますが、サン・モリッツ湖は徒歩範囲内です。他の2湖は地元エンガディンバスで、シルヴァプラーナ湖の出艇適地Silvaplana, Alte Postまで16分、湖畔まで200m余で、復路に、最も遠距離になるシルス湖西岸の上艇地Maloja, post マローヤまで約30分です。
 そして、(標高2234m;面積1.5㎢;地中海世界文化遺産のレーティッシュ鉄道で往復する山上湖のLago Bianco白湖(標高2234m;面積1.5㎢;地中海・黒海への分水嶺地)まで直通で約1時間。2253mのOspizio Bernina駅から散策路を200mほど歩くと湖畔は出艇適地です。
 のんびり漕いで、氷河を抱く山々や、対岸の湖畔を走る列車などを眺めては撮るLake Kayakの達成感を得つつの夢想です。

 

8ベルナーオーバーラント発-2000.JPG

ヌーシャテル湖とモラ湖を結ぶ運河で夕刻に憩う様子を点描(左)。観光急行の車中で撮影したルンゲルン湖(中左)。ブリエンツ湖の出艇地、対岸の滝と隣の桟橋はケーブルカーの駅舎(右中)。トゥーン湖の観光船で眺める保養地(右)

 
サン・モリッツでのカヤック達成後は、ベルナーオーバーラント地方での漕艇も夢想。
 連泊地は、グリンデルワルトの定宿です。アイガーを臨む自室からの発着で、インターラーケン経由となります。候補となる運河・湖は4つ。

◎[Murtensee ムルテン湖 と Lac de Neuchâtel ヌーシャテル湖 を結ぶ8.8kmの運河 Canal de la Broye ブロイエ運河]

:運河東南端に近い近郊電車駅Sugiezから400mの至近地に出艇可能地があります。袋に入れたカヤック・5分割のパドル・電動ポンプを持ち、艇を整えて、出艇した後は、南に漕いで、ムルテン湖の北東岸を漕ぎ、運河に戻り、美しい環境の中を進みます。ヌーシャテル湖に突き出た運河の先端は[Begehbare Mole am Neuenburger See - Kanal (Walkable pier on the Neuchâtel Lake Canal)]とあり、湖は干潟で水鳥の楽園地です。少し湖畔を漕いで、約2km運河を戻り、観光船桟橋La Sauge至近で上艇します。トラベルパス適用の観光船で運河を戻り、ムルテン湖を抜けて、ムルテン駅へ。往復共、首都ベルンを起点として、ホテル発着です。
 朝8時過ぎに、アイガーを眺めつつ、十分に朝食を摂った後に出発する全日コースです。

:現地はフランス語圏でヌーシャテル湖はLac de Neuchâtelですが、ドイツ語はNeuenburger Seeで、英語表記はNeuchâtel Lake。Neuchâtel のドイツ語がNeuenburgと知った浅学の身。

 

◎[インターラーケンから朝、ルツェルへ向かう際の観光急行車窓から美しさに魅せられるLungerersee ルンゲルン湖(標高689m;最大長 2.0km;面積2.01㎢)]

:湖名駅ルンゲルンで観光急行 LUZERN-INTERLAKEN EXPRESSを降りて、湖畔の出艇適地 Inseli Lungern まで800m、高低差60mを下ります。復路は適当に、1時間毎に走る観光急行に乗車し、インターラーケンで各駅停車に乗り換えて、連泊地のグリンデルワルトまで所要1時間47分、車窓を楽しみつつの帰還です。

 

◎[Brienzersee ブリエンツ湖(564m;29.8㎢)の東端の浜で出艇し、対岸の滝を眺めつつ南岸沿いに保養地Iseltwaldイゼルトヴァルトまで(湖畔距離10.8km)]

:湖名駅ブリエンツで同観光急行を降りて、高低差のない湖畔散策路を時計回りに814m歩くと、水浴場で、出艇に適した石組み地があります。ゆっくり漕いで、午後は陽光を浴びて素晴らしく美しい保養地イゼルトヴァルトでの上艇。小さな村の中心地にあるバス駅(Iseltwald, post)で鉄道の対側湖岸を時計回りにインターラーケンに戻ります。路線バス103は1時間毎の運行です。

 

◎[トゥーンの街が起点で、Thunersee トゥーン湖(558m;48.3㎢)で湖畔の保養地を巡りGuntenグンテンまで(湖畔距離8.1km)] 

朝はインターラーケンでベルン方面行の特急IC61に乗り、32分でトゥーンに着きます。観光船桟橋横の散策路を700mほど歩いた地に出艇に適した地がありました。ブラームスゆかりの散策路を眺めつつ漕いだ後、トゥーン湖の湖畔沿いに南方向へ、アイガー・メンヒ・ユングフラウの三山も遠望しつつ、漕ぎます。観光船の桟橋が点在するので、安全を確保し、景観を体感しつつの想定です。

 
 以上がカヤックの候補地です。(付:多鯰ヶ池の周囲は3.4kmで、私事、3周10.2kmを難なく漕げます。湖山池でも12km程度の漕艇実績があり、距離上の支障はありません。)
 各々の出艇・上艇に適した地を、宿からの交通を含め、確認済で、達成感を得ています。が、山歩きと共に、カヤックも・・・となれば、日程的な制約があります。2週間は欲しいが、退職後にと夢想します。
 振り返ると、2015年、初めてスイストラベルパスでの自由旅行をした際、前日“攻めの山歩き”をしたことで、相棒が筋肉疲労を訴え、夜に4つの湖を3つの船で巡る全日コースを企画し、本会報(No.422: p.57-61, 2015年3月号)に書きました。

 2湖を結ぶ運河を緩速で航行する観光船の甲板に居て、のどかで美しい光景と憩う人たちを目にし、魅せられ、カヤックを漕ぎたい思いが萌芽。が、夢想に過ぎませんでした。他の3湖も然りです。が、今となれば、現実感、達成感が沸き上がっています。
 とは言え、新コロ渦中、スイスでのカヤックは実現していません。既述の通り、2020年は山陰海岸ジオパークエリアでのカヤックに終始し、2021年も渡欧は不可能でした

齢70歳を過ぎて、「今が一番若い!」「今挑戦せずして何時達成できる?」の思いが沸き上がり、今に至っています。71歳を過ぎた今ですが、どこまで夢想的挑戦を重ねることになりましょうか・・・。
 スイスでのカヤックは2022年初夏に実現できるのか・・・。南アで報告された3日後、オミクロン変異株の拡がりを懸念し、日本政府が外国人の入国を全面禁止した2021年11月29日に記しました。
 3年半継続した[続 スイス悠々]は、1年間の[スイス悠々]が端緒であり、計27回のシリーズ・4年半の連載でしたが、新コロ禍中で渡欧適わず本号で終了です。機会に恵まれたことに感謝いたします。

 

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※ グリンデルワルトに連泊し、湖上カヤック三昧をする際の地図です。イメージが膨らめば幸いです。

 <HP版追補>

 
◆ 追記:徒然に・・・

@1 本稿の冒頭で「カヤックは11年目にして最多回数の出艇」と書きました。齢70歳を迎えた11季目に「秋は遅くまで漕ぐ!」と宣言しましたが、結果、2020/10/25(日)に多鯰ヶ池で初出艇し、“魅せられ”、11/19、2021/1/31・2/6・2/21と出艇を重ねました。県内の学童が体験する赤松の池、大山池との面積比較で、赤松池 < 大山池 < 多鯰ヶ池と知りました。かつ、前2池は、業者以外の出艇を制限する看板もあり、困惑しました。さらに、多鯰ヶ池は、成因状、古の大山大噴火による堰止湖で、出艇地となる北東側の湖畔に駐車場が接し、砂丘の目の細かい砂による浜であり、出艇し易いのです。さらに、深さは中国地方の湖池で最深、生活排水を伴う流入河川もないことで、透明度が3-4mあり(湖山池0.7m;出典ウィキペディア)、加えて、地形も複雑で変化に富み、カヤックの最適地と評したのです。風が強めでも、(平野部にあり白波が立つ湖山池との対比で、)窪地にある多鯰ヶ池は漣程度に留まるので出艇可能です。さらに、多鯰ヶ池には大小の睡蓮の群落が至る所にあります。

 
@2 湖山池の英表記はLake Koyama# で、湖山砂丘が伸びたことによる堰止湖です。国土地理院地図には海抜0mとあり、日本海が満潮に向かう際は、湖山川は逆流します。湖山川は狭い入り江の水路であり、類似例は久美浜湾。こちらは湾の名称ですが、同地の砂州(丹後砂丘、西端は小天橋)による堰止湖です。
 Lake Koyama湖山湖では語呂が悪いため、湖山池と評したのでしょう。大小を競い話題になる満濃池は人工的な灌漑用溜池で、海面標高は140~150mです。成因的には湖山池は湖であり、1・2を争うなら、この際、日本で最も狭い鳥取県ゆえに世界一狭い海「湖山海」に改名するのはいかが?
 「湖山海 Koyama-see」の漢字名は、海・湖・山から成り、鳥取県に相応しく、良い感じと夢想!
(#:国体道路を西へ、国道29号線と交わる交差点の手前に青い看板があり、[↑白兎海岸 Hakuto Beach][↑湖山池 Lake Koyama]と表記されています。赤信号で停止する際にご確認を!さらに、山陰海岸ジオパークの英語表記サイトにも Lake Koyama とあります。)

 

@3 保有しているカヤックは全てゴムで膨らませるタイプInflatable Kayakです。初代は2010年初夏、思い立った際に、幸いヤフオクで新古品を得ました。 その後は、Amazonで購入した独・米・英製品です。日本製は(生産がないようで)皆無で、海・湖・河川でのレジャー文化の違いを思います。

 

@4  「カヤックは何歳までできる?」と自問自答
 足腰や気力の衰え・・・。安全第一で無理をせず、最後は、多鯰ヶ池で出艇しているのかも。通勤の車内(吊り輪・ドアノブ等での関節可動域訓練と筋トレ)や階段(常時二段上り)で足腰・上半身を鍛え続けましょう。[笑劇的追記]

 

@5 ウィーンではAlte Donauの他では、Wienerbergweiher(ウィーンの山の池)でもカヤックが可能です。市公認の水浴場(本来目的は貯水池)で、現地では広く感じましたが、地図で調べると多鯰ヶ池より遥かに狭いので、かつ、トラムO線南端駅から1.7kmと約10kgのカヤック等を持って歩くことになるので止めます。
 ウィーン国際空港のドナウ川本流の北側に、一見出艇できる湖状の地があり、機窓からも確認済ですが、現地(出艇可能地点)までの公共交通機関がヒットしません。ここでの漕艇は、のんびりと航空機の離発着を眺めつつ、緑の中なので気持ちは動きますが、非現実・夢想です。
 他には、カヤックに適した地が、ウィーン界隈では見出せません。

 
@6 ドナウ運河の基点となるSchwedenplatz桟橋からは隣国スロベニアの首都ブラチスラバを結ぶ双胴の高速線
Twin City Liner があり、本会報(No.432: p.46-51, 2017年11月号)でご紹介しました。 

 

<HP版備忘録>

 
◆ 医師会担当者に原稿・組写真と地図を送付したのは、2021年11月29日(月)21:35 平和な当直の合間でした。(隔月発行の会報が届いて間もなくに送付するのが定番で、11月号が25日に届いたことで、新年号の送付)

 本文の末尾に「 スイスでのカヤックは2022年初夏に実現できるのか・・・。南アで報告された3日後、オミクロン変異株の拡がりを懸念し、日本政府が外国人の入国を全面禁止した2021年11月29日に記しました。」と書きました。新年号が届くのは、初春の気配が失せた正月月末になります。つまり、今から2か月後のことであり、ハテ、オミクロン変異株に係る動向がどうなっていましょうか・・・。

 

 南アの状況では、世界を席巻しているデルタ株を凌駕して流行しているようです。がワクチン接種率が30%台に留まる同国と、2回のワクチン接種を国民の大半が終えた地域とでは流行の重み自体が異なりましょう。

 とくに、日本は9月以降専門家も疑問視したほどの勢いで感染が収束し、今や、終息の域にあります。日本と同等・以上の2回のワクチン接種率にある韓国や多少は下がるが過去最大級の感染者数が出ているドイツなどとの違いは、自身にとっては明白です。

 

 日本人の国民性は、例えば、東北大震災において、犯罪が希少で、わずかの食料品を行儀よく列をなして受け取る様は、世界を驚愕させました。(食料品を有する店舗は無料で供出し、その際も列をなして、順々に受け取っていました。炊き出しなども然りです。)

 日常的にも、例えば、電車・列車を待つ際の列は、ホームに停車位置(・ドアの位置)が明記されていることもありますが、乗客は列をなして待ちます。下車、乗車の際に、人を押しのけて・・・といったようすは見ません。これも世界的には例外で、自身が体験した西欧ではあり得ないことです。コロナ渦中で中断する前のスイスでも列車編成は示されていますが、何となくの乗車口に乗客がたむろし、列車が徐行するのに合わせて、群れが移動し、タイミング良くドア位置に立った人から(下車する人がいなくなってから)順々に乗車します。

 つまり、cm単位で、列車がきちんと停車することがありません。何故? 今、初めて気づきましたが、列車は電気機関車が牽引するタイプが主流であり、指定の停車位置に止めることが難しいためなんかもしれません。

 都市間特急で、日本の新幹線のような列車は例外的にありますが、そもそもホームに乗車口がきちんと明記されていません。おおよそこの辺り・・・ 的な下げ看板がある程度です。脱線しました。

 

 日本人の感染制御に係る国民性では、マスクの着用状況もあります。“0密”環境の戸外の道路を歩く際や、公園散策においてもマスクを着用している有様です。飲食店など店舗の対策は、(小生を含め)ほぼ全員が順守します。日本における“村八分”文化なのかも知れません。或いは、“お上に順々”で、日常的にデモを見ることは少ない文化(、とくに、破壊行動を伴うデモは皆無!)です。

※ “村八分”:「村のおきてを破った村人を、他の村人が申し合わせて、のけものにすること。転じて、一般に仲間はずれにすること」(Oxford Languages

= = =

 小生は再三再四“村八分”に会う言動をしていると自認します。

 本稿の内容を書いていること自体、例外的なことで、“出る杭は打たれる”結末ですが、わが彼女談“出過ぎた杭は(高すぎて他の人から)打たれない”(笑)。

 

 本稿「続スイス悠々(21)新春の夢想」然りで、自由自在な西欧旅行は、還暦を契機に開始したことです。コロ渦中で、渡欧が不能となり、残念ながら、随筆(写真紀行)シリーズは終了します。が、同じく還暦を迎える年の初夏に始めた「悠々カヤック」のシリーズ提案も医師会担当者に原稿を送付する際に追記してシマッタ次第でした。備忘録として、引用します。

 

 追記)「新春の夢想」では、ボート、カヤックに係る話題を書きました。コロ渦中で渡欧が出来ない現状において、「悠々カヤック」シリーズ(写真紀行)を執筆することが可能です。
例えば、2022年3月号は、副題「湖山池点描」(仮題)で、
☆鏡面の湖:サンセットカヤック
☆湖上カヤックで眺める青島の桜
☆松が綺麗な猫島(鳥の糞で枯れた現状)の近接写真
☆緑が回復した団子島(以前、鳥の糞で樹木が立ち枯れた)
☆湖上から見上げる阿弥陀堂
☆ここは何処?:奇怪な鳥ヶ島
☆日の出カヤックと朝の光

 
以下も例えば・・・です。
5月号:「浦富海岸沖で眺める日の出」 網代漁港からの出艇
7月号:「満開の睡蓮の群落を愛でる」 古代大山の噴火が成因の堰止湖である多鯰ヶ池
9月号:「千貫松島海域での賑わい」
11月号:「プライベートビーチのごとく田井ノ浜」
2023年1月号:「多鯰ヶ池の春夏秋冬」
3月号 ・・・ 東郷湖、鴨ヶ磯、白兎海岸・・・ 県外 やがてはスイス、ウィーンでの湖上カヤック
当然ですが、
編集委員会・医師会長の指示に従います。

 2021年11月30日(火)当直の深夜帯:就寝後、幸い、外来・病棟から呼ばれずに熟睡が出来て、何やら旅行・飲食の夢の長編が続き、「ン!オツムが起きている!」と確信し、定番でシャワー室で冷水を頭から浴びて、石鹸で頭顔部の油脂成分を洗い流し、研究室に戻ったら2時過ぎでした。実質4時間弱の睡眠時間でしたが、白衣の着替え、飲料の準備をした後、ピアノ曲をBGMとして、<HP版備忘録>を書き始め、今 2:53 です。

 思いついて、文章を書く作業効率は以前と比べて早く、かつ、上達していると自認しています。勿論、表現の質は低いですが・・・。

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[笑劇的追記]

 2021年12月、職員健診の予診票(相変わらず紙!)に体脂肪率等の枠がありました。従来、身長、体重の測定に留まっていましたので、ハテ?と、当日担当者に尋ねると「人間ドックでは計っている」と。で、小生、病院の高級な TANITA に乗りました。初めて知った健康指標《脚点》は 101点!調べたら、線グラフがあり、101点は22-23歳水準!で、自身が驚いた次第!

 昨日は病院当直で、深夜帯に5階(急性期病棟)から呼び出しがあり、医局のある2階から(定番の)二段上がりで一気に5階へ!電話してから到着までの速さに看護師さんたちが驚愕!2回上がり降りしましたが、各々息が上がることはなし。

 今日、今(2021/12/18  21:53) 急患診療所にて : 急患は少なく平和です。が、今冬一番の冬型の天候です。

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新シリーズ[悠々カヤック:写真紀行

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