スイス悠々
〔続 スイス悠々 秋色編〕
( 補 2 )夕陽に映えるトゥーン
観光船の桟橋から東側ゾーンは、大作曲家ブラームスも散策した愁眉な公園・散策路:点描1
〔続 スイス悠々〕秋色編の補遺その2です。
秋の夕刻にトゥーンの街を散策したのは、前夜にジュネーブに着いた翌日のこと。GoldenPass Line の車窓をゴールデンパス・クラシックのベル・エポック車両で楽しみ、ベルナーオーバーラント地方に移動後、その年にトラベルパスが適用となっていた Schynige Platte シーニゲプラッテに上がったが、晴天ではあったけれど、雲が流れて来たため早々に降りた。結果、時間的なゆとりがあったので、至近のトゥーンを訪問した次第だった。2017年10月1日(日)16時過ぎ到着でした。
土地勘は、地図でオツムに入力済で、駅から観光船の桟橋方向に歩き、南北方向に人工的に掘られた入り江の東側に歩いた。冒頭組写真の最初(左端)の写真は 16:02 の撮影。夕暮れ時が遅い夏季と異なり、日本の最北端である稚内市よりも北に位置#するために、秋の訪れは早く、かつ、夏時間採用期間中でもあり、既に、陽光は低く、明るい日差しが照らしていた。
空気は乾燥しており、とにかく美しかった。小生の劣等な文学表現ではとても記せない。写真で想像して欲しい。
[# 北緯46度45分4秒/日本最北端に位置する稚内市の最北端は宗谷岬(北緯45度31分21秒)北西約1.2kmにある玄武岩の岩島で無人島の弁天島(北緯45度31分35秒)よりもトゥーンは北に位置する。/樺太の豊原(≒ 現ロシア名 ユジノ・サハリンスク)が北緯46度57分40秒なので、トゥーン市は稚内と樺太間の海峡に位置することになる。]
観光船の桟橋から東側ゾーンは、大作曲家ブラームスも散策した愁眉な公園・散策路:点描2
ヨハネス・ブラームスとトゥーンについて調べると、ウィキペディアには、チェロソナタ第2番(♪C2)やヴァイオリンソナタ第3番(♪V3)に係る記事の中で「ブラームスは、夏の間を避暑地で過ごし、そこで創作に打ち込むことを習慣としていたが、1886年から1888年までの夏は、友人であり詩人のヴィトマンに勧められて、スイスの避暑地トゥーン湖畔で過ごした。トゥーン滞在中はヴィトマンの邸宅で、ヴァイオリンソナタ第2番やピアノ三重奏曲第3番などが作曲されている」・「悩みのない十分な生活を快適に過ごしていた」とある。
ブラームスが歩いていたに違いないと思えるアーレ川沿いの界隈は、余りにも美しく、季節を変えて、かつ、時間を確保して、そうベンチにも座すなどして、訪れたいと願っています。
♪C2:You Tube:古い(モノクロで音質も劣る)が貴重・必見・必聴の録画[Brahms Cello Sonata No. 2 Op. 99 Du Pre Barenboim] & [J. Brahms, Cello Sonata No. 2 Op. 99, F Major, Norbert Anger]
♪V3:You Tube:文化遺産的なオイストラフとリヒテルによる[David Oistrakh - Brahms - Violin Sonata No 3 in D minor, Op 108]も画質・音質は劣るが致し方ない・・・ & 庄司紗矢香による[Sayaka Shoji and Nelson Goerner play Brahms : Violin Sonata No.3 in D minor, Op.108]と、オマケで、やはり貴重なパールマンとアシュケナージの演奏(彼らは映っていない・楽譜が提示されている)[Brahms - Violin Sonata No. 3 in D minor, Op. 108 (Perlman & Ashkenazy) Complete with Sheet Music]も、生涯研修的自学備忘録資料!さらに、ヴェンゲーロフが弾く[MAXIM VENGEROV AND PATRICE LARE - Sonata for violin and piano in D Minor. BRAHMS]もあった。
観光船の桟橋から東側ゾーンは、大作曲家ブラームスも散策した愁眉な公園・散策路:点描3
トゥーンの街散策の組写真を整える作業中、割愛できない写真が多く、つい、3組目も整えました。自身の中で、ゆったりとした時間が流れるかのごとくです。本稿を書きながら、BGMとして、既述のチェロソナタ、ヴァイオリンソナタの演奏を聴きつつで、ブラームスに浸るがごとく・・・。ネット・HP限定の補遺編ゆえの、自身に対する“特典”とします。
(当直明けの朝、書き始めて今 3:48! 2019年8月20日)
愁眉な公園・散策路を旧市街方向に歩くとアーレ川の堰を兼ねた古風な屋根付の歩道橋が・・・
観光船が入る入り江を右側に眺めつつ、散歩道を反時計回りに、立ち止まり、撮りつつ移動し、北側に位置する旧市街方向へと進んだら、日本では見ることがない構造物がアーレ川を跨いでいました。主目的は観光船が入る入り江の推移調節と思えるアーレ川の堰でした。藁ぶき屋根の建物の中は、勿論、木製で、年代を感じさせる風化がありましたが、歩行者用通路であり、足元にはアーレ川の勢いある流れが・・・。周囲を眺め、見下ろして眺め、撮りなど、異次元空間のひと時に親しみました。
自学1:[堰と水門の違い]~納得した情報を引用します。「堰と水門には決定的な目的の違い、機能の違いがあります。
水門は洪水時にはゲートを閉鎖して堤防としての機能を持つのに対して、堰はゲートを開放して洪水をできるだけスムーズに流下させるものであって、堤防としての機能は持ちません。洪水時にゲートを閉じるのが水門、逆にゲートをあけるのが堰」とあります。ガッテン・ガッテン:で、出典は[多摩川散歩]で、紹介記事に「首都圏の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、容易に河川敷や河原に下りて自然の中で存分に楽しむことができます」とあり、小生が暮らす至近の(、人口・河川規模は大きく異なりますが)湖山川との類似、即ち、自然護岸が残ることに共感した次第でした。
自学2:ウィキペディアにも同じく、「堰(せき)とは、河川の流水を制御するために河川を横断する形で設けられるダム以外の構造物で堤防の機能をもたないものをいう」(出典:高橋裕『河川工学』東京大学出版会 1990年)とあります。
自学3:さらにウィキペディアの堰には、水門との違いについて、「水門が洪水時には門扉を閉鎖し堤防としての機能を持つのに対して、堰はせき止めた水が氾濫しないように、むしろ門扉を開放して水を積極的に流すため、堤防としての機能を持たないことで区別される」とあります。
古風な屋根付の歩道橋を渡り、旧市街方向へ:夕陽を浴びた東側のアーレ川対岸(左・中)、トゥーン城(中・右)
堰に架かる歩道橋を渡りアーレ川の対岸を旧市街へと歩きました。対岸は夕陽を浴びて、秋色に染まった木立と建物の色が輝き、美しい限り・・・。河畔で白鳥など水鳥に餌をやり戯れる人たちも・・・。
主たる車道を渡り、河畔沿いから東側の旧市街の中心街へ。道路の両端は稀有な構造です。
個性的な旧市街:二重構造で、2階相当部分にも通路とお店が並びます。
トゥーンを象徴する個性的な二重構造の旧市街の美しい写真をトップに置いて紹介するスイス政府観光局の記事には「560m インターラーケンの西、トゥーン湖の最西端に位置する湖畔の街。湖の奥に広がるベルナーアルプス(ベルナーオーバーラント地方)への観光拠点のひとつで、ベルンと同じく12世紀末にツェーリンゲン公がつくった美しい都市で、高台にあるトゥーン城を中心に周辺に残る旧市街の街並は中世の雰囲気を今に色濃く残しています」とあり、「よく散策を楽しんだブラームス・・・など、有名人が愛した湖畔の避暑地」の詳細な記述もありますが、二重構造の歴史・背景に係る解説はありません。
愚考するに、アーレ川が氾濫した際の都市機能を維持するための二階部分の通路と店舗?!
旧市街を北方向に歩いた後、アーレ川に出ると、下流側にも同様の堰が(左・左中)。トゥーン城を見ながら歩き(右中)、至近のアーレ川沿いのオープンカフェで飲食(右)。陽光が照らされた美しい夕景
旧市街のアーレ川下流域に出ると、またもや屋根を持ち、歩道橋を兼ねた堰がありました。サーフボードで、堰の近くから立位を試みては転倒し流される光景には見惚れていました。時には、堰から勢いよく流れる波にうまく乗り、数分間、立位を保つ場面もあったからです。
界隈を歩き、アーレ川の河畔に面したオープンカフェ・レストランに座したのは、17時過ぎでした。約1時間余の散策を楽しんでいたことになります。定番で Erdinger の Weißbier 白ビールを味わい、軽食を・・・。
機会があれば、アナタをお連れしたい街です。念願しつつ・・・。そう、「トゥーンから一番近い山。展望台1935mからはアルプスと湖が一望できるNiederhorn ニーダーホルン(1950m):約1時間」とスイス政府観光局の記事にある通り、アナタは未体験の3連ゴンドラで頂上に上がるニーダーホルンを含めて・・・ネ!そう、それと、ニーダーホルンから3連ゴンドラと(トラベルパス適用の)フニクラ(登山電車)で湖畔の Beatenbucht ベアテンブヒトに降りて、湖畔桟橋でトゥーン行の観光船に乗船して、船上からトゥーン湖畔の散策路を眺める“研修体験”を含めて・・・。小生の念願は適うかなァ・・・。
え? アナタって誰?ですって?! はい。アナタのことですよ~♪