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スイス悠々〕 (5)ポストバスで絶景峠を巡る

 山岳地帯など鉄道がない場所をポストバス(Postbus)が補完し、スイス国内の公共交通は津々浦々まで確保されている。スイス国鉄のHP(www.sbb.ch/)で、詳細な情報が分かるので、旅行者には利便性が高く、初めて訪れる地でも安心である。同HP上、経営母体を問わず、鉄道・船やポストバスが一体となっており、バス停は「バス駅」扱いで、つまり、バスもダイヤ通りに運行されており、日本とは事情が異なる。日本の現状では、とても比較にならない高水準の“おもてなし”情報が得られるので、同HPは“机上旅行”にも資する。
 「アルプスの峠を越える絶景ルートの旅」がガイドブックに紹介してある。ポストバスはスイスパスが使える。今回、この達成をめざした。7連泊したグリンデルワルトGrindelwaldを出発地として、スイス国鉄のHPでルート検索をすることになる。狙いを定めたコースは以下(地図を参照)。

行程順)M:マイリンゲン600m、T:グリムゼル峠2165m・トーテ湖(死湖)[10分停車]、G:グレッチ1760m[乗換]、B:ベルヴェデーレ[50分停車]、F:フルカ峠2431m、R:レアルプ1546m、A:アンデルマット1436m、G:ゲッシェネン1101m、S:スステン峠2224m

 電車でマイリンゲン(Meiringen 600m)へ移動。ポストバスで南下し、グリムゼル峠 Grimselpass(2165m)を越え、約400m下った谷底のグレッチで乗換。バスで登り、ローヌ氷河を体感後は、 フルカ峠 Furkapass(2431m)を下りアンデルマットへ。北隣のゲッシェネンへは鉄道で移動。三つめのポストバスで、スステン峠 Sustenpass(2224m)を越えて、マイリンゲンに戻る全日プラン。
 ウィーンやパリでも然りだが、自由旅行の際には、自身の方針として、交通事情に係る安全担保のため、帰国の前日には、市内や近隣を巡る程度に留めることにしている。が、今回のスイスは天気予報を主体に日々を組んだことと、本ポストバスコースへの憧れから、帰国前日の(自身としては強行的な)催行。バスの本数は希少で、乗り遅れたら、ホテルに帰着できない危険性を有していた。
 峠を巡るバスダイヤに合わせての出発ゆえ、当日、2015年7月3日(木)の朝はゆっくりし、8:49始発のBOB(ベルナーオーバーラント鉄道)に乗り、インターラーケンに向かった。インターラーケン・オストで乗換えたのが、Regio(R)こと、地域内短距離区間を走る各駅停車だったが、車両は“Panorama coach”で窓が大きく、車窓が楽しめるので移動自体が嬉しい。と言うか、本音は、BOB同様窓を開けることが出来て、顔・腕を車窓から出して撮影したかったが・・・。各駅停車車両ではあるが、観光急行列車と同等の車両であり、座席も上品で、かつ、静かな安定走行をする。
 実は、スイスでは主要都市間を結ぶInterCity(IC)などの特急が走る路線とは異なり、湖畔や山岳地帯など、風光明媚な地では、特急、地域間急行などの高速列車も、各駅停車と同様の駅間所要時間で走る。つまり、そうしたエリアでは高速性よりも、30分毎・1時間毎の固定ダイヤ重視で分かり易く、かつ、ゆったり・のんびりの“人間性重視運行”が定着している。
 秀逸の“おもてなし”と言えるが、各駅停車といえども車両・走行の快適性に優れ、山陰線・因美線とのあまりの違いに考え込んでしまった。

標高600mのマイリンゲンから南へ走るポストバスは谷を登る(11:24;左)、バイパストンネルが見えたが、運転士は右折し、旧道の崖路を徐行(左中)。登る自転車を追い越し(中)、グリムゼル峠に近づく頃は文字通り“絶景峠”を実感し(右中)、ヘアピンをどんどん登り(11:36;右)2165mのグリムゼル峠へ。

 グリムゼル峠とスステン峠ルートの主要駅であるマイリンゲンに10:07に着いた。
 マイリンゲンで乗るポストバスは10:50始発。若干の時間を活かし、街を散策した。目的はシャーロック・ホームズ! 駅から5分もかからない至近地にホームズ広場があり、パイプを手にした懐かしい彼が出迎えてくれる。礼拝堂を兼ねたホームズ博物館があり、名場面集と言える挿絵画8点が博物館へと招く案内柱に描かれていた。圧巻は宿敵モリアーティ教授との争いで滝壺に転落する見覚えのあるシーン。礼拝堂の横から、ホームズ終焉のライヒェンバッハ滝(Reichenbachfall)が遠望できた。
 運転士にパスを見せて、バスに早めに乗車。幸い、最前列に座すことが出来た。ポストバスの車窓からもライヒェンバッハ滝を見上げ、バスは南下していく。車窓から多様な景色を楽しめたが、想定外だったのは南へ走る自転車、つまり峠に登る自転車を再々追い越したこと。(電車・列車や船に自転車を積み、駅で下す場面も再々目にした。また、ロープウェイなどで登った山岳地に貸自転車が少なからず見られるなど、自転車文化が定着していることを各所で体感した。)トライアスロン現役のヒロさんは関心が高かった。ペダルを漕ぐ人を見ては、「凄い!」と感嘆の声。問うと「ふくらはぎの形状」「鍛え上げられた体」・・・や自転車の構造等も解説してくれたが、関心の低い小生は理解するに至らず。
 ポストバスは、次第に崖に囲まれ急な勾配の谷間を登りだした。当然だが、直進が減り急カーブが多くなる。と共に、車窓の景色は雄大になっていく(11:24)。息つく間もなく、思わず感嘆の声が出て、カメラのシャッターを押す機会が増える。
 正面にトンネルが見えた。同時に右手に崖を掘り込んだ石畳の路が見えた。バスは速度を落とし、何と右折し、崖路に入った(11:25)。いかにも崖を掘り込んだと分かるのだが、天井部分には岩が迫り出している。初体験!先の見えない左回りのカーブの崖路でもあり、つまり、正面の景色は開けるが、谷底に向けており、内心、怖さを感じた。自転車2台が先行するのを許し、徐行した。左カーブで、先が見通せないため、ポストバス特有のクラクションを鳴らし、安全確認をしつつ走行する。そう長くない崖路だったが、バス停があるはずもなく、結局、車窓の景色に驚嘆し続けているわれわれに対する運転士のサービスと心得た。思わず「Danke !  Danke schön !」と発した。
 進行方向にアーチ形のダムが見えた。バスは右折しダムを形作るアーチ形の石畳道路を走行した。抜けると景色が素晴らしく、ホテル・レストランがあるゾーンに入り、バス停もあった。が、乗下車する客は皆無で、元の道に戻り、ヘアピンカーブを登って行った(11:36)。
 グリムゼル峠2165mには山上湖があり、その名は“死湖”(Totensee)。何故、この名称になったのか、調べていないが、湖畔は空間が開けており、ホテル・レストランがあり、駐車場も広かった。多くの車以外に、高級な大型バイクや多様な自転車で賑わっていた。ここでポストバスは10分間の観光休憩。下車し、外の空気を吸い、トイレを済ませ、撮影も。バスは出発すると間もなく、崖を落ちていくがごとく、ヘアピンが連続する崖を谷底へと下って行った。車窓からは、絶景が次々と広がる。
 運転士が何やら言い、指差しているのに気づいた。一旦廃線となった山岳路線に復活した蒸気機関車が牽引するフルカ鉄道の列車が眼下に見えた。すかさずシャッター!谷底を進むミニ列車が撮れた。
 バスは崖を約400m“落ちて”、谷底のグレッチ(Gletsch 1760m)に到着。運転士に御礼を言い、かつ、フルカ峠に向かうポストバスの乗車場所を確認し、下車した。

乗換えるバスが到着(12:32;左)、フルカ峠に向けて、ぐんぐん登り(12:45;左中:写真右上が出発したグレッチで、左下方向に登り、)ヘアピンカーブが連続し、ローヌ氷河の至近でホテルや展望所があるベルヴェデーレ(名のごとく美しい)で50分の観光停車(12:53;右中)。2431mの峠を越えた後は、一車線に狭まった道路を、ポストバス独特のクラクションを鳴らしながらレアルプに向け、どんどん下る(14:24;右)

 グレッチに着いた後、次のバスまで乗り換え時間は19分。地図で確認済のローヌ河畔とフルカ登山鉄道の駅まで歩いた。バス駅の至近に公園があり、この奥(南側)に白濁して水量豊かなローヌ川Le Rhôneがある。ローヌ氷河が溶け出して、スイス国内ではレマン湖にそそぐが、フランスでは大河となり地中海に至る。20世紀初頭には、この地からローヌ氷河が眺められたが、今は退縮し、見通せない。
 ダイヤ通りにポストバスがやって来た。前方席には既にお客が・・・。幸い後方はガラ隙で、後輪付近、通路を隔てた左右4席をお互いが確保した。そう、車窓の景色に合わせ、ヒロさん・小生の各々が思いのまま、左右の車窓を眺め、撮影するために。バスはローヌの流れ沿いに源流に向かい快走していく。やがて、登りが急になり、ヘアピンカーブが続く。ここでも再々、自転車を追い越した。
 12:33にグレッチ・ポスト(Gletsch, Post)を発ち、Belvedere Furka(風光明媚なフルカ)つまり、ローヌ氷河を至近で見ることができるホテルに隣接したバス駅まで20分弱で到着。
 約50分の観光停車を楽しんだ。地図で確認済の環境を、展望台へと歩いた。想定外だったのは、レストラン・ショップの店内奥に展望台への進路があり、若干の“拝観料”を払わされたこと。
 ローヌ氷河の全貌を見通せる至近まで降りて、氷河を下る冷たい風を体に受け、記念撮影(12:53)後、展望台に戻った。氷河上を散歩するハイカーや、青く染まるクレバスも目に留め、撮りつつのひと時。
 渓流を流れ下る水を浴び、雪渓に寝そべるかごとくの写真を撮るなど遊びつつ、バスが駐車している界隈の展望が開けた場所へ早めに戻った。老夫婦が乗った4台のクラシックカーが下り、群れを成して走るバイクが行き交う。そして、青年のみならず、中高年者もが自転車を漕いで登る様には手を振り・・・、絶景を眺めながら異次元の環境を楽しんだ。
 出発したバスは、間もなく2431mのフルカ峠を越えた。
 車線に中央を示す白線が消え、道路幅が狭まった。対向車と正面衝突しないように、先が見通せない急カーブでは、ポストバス特有の甲高いクラクションを鳴らしながら走り下る。その音は音階を成し、そう映画《未知との遭遇》で宇宙人と交信するフレーズを思い出した。ただし、4音だったが・・・、懐かしさを感じた。([You Tube ポストバス 大谷]検索:動画と特有のクラクションが聞けます。)
 眼下・谷底に鉄道路線があることに気付いた。廃線になった後、愛好家が復活させ、観光路線として運用されているフルカ山岳蒸気鉄道(www.dfb.ch)の軌道。空の青さと稜線から裾野に下る広く多彩な色相を呈する緑、白い雪渓と滝や渓流、そして、放牧されている牛とカウベルの音。道路には車・バイクと懸命に自転車を漕ぐ人、珍しくバス停で降りたリュックを背負った彼女・・・。飽きることがない。
 やがて、レアルプ(Realp 1531m)が目に入り出した。著名な観光列車《氷河急行》は、以前は現在のフルカ山岳蒸気鉄道路線を走り、つまり、氷河が後退するまではローヌ氷河を目に留めながらゆっくりと走っていた。が、今日ではレアルプから長大トンネルに入り、グレッチ南の山中をトンネルで抜けている。よって、名ばかりの《氷河急行》となっている。このトンネル入り口が視野に入り、撮った。
 レアルプを過ぎると車線は拡がり、急カーブも激減。快走し、終着のアンデルマットへ。
 この日、ポストバスで三つの絶景旅を巡る旅が確実に催行できるように、実は、前夜にインターネットで再確認した。結果、アンデルマット始発、スステン峠を越えてマイリンゲンに着くバスがヒットしてこない?!
 スイス国鉄のHPでは、アンデルマットから地域列車に乗り、隣駅のゲッシェネンで事前に計画したバスに乗るように表示される。検索条件を変え、繰り返し、丁寧に探しても同様の結果。詳細情報を見ると、アンデルマット始発、北隣のゲッシェネンが終着の、要するに一駅のみの地域列車(Regio)に一駅乗ることになった。

アンデルマットからゲッシェネンは一駅区間のみ3.71km、所要15分(平均時速15km未満!)のアプト式登山鉄道に乗車 | 悪名高き“悪魔の橋”(15:34;左)、想定外の急坂をゆっくりと下る間は、遊園地のアトラクションのごとくで、トンネル内や覆道(左中)でも撮影。難工事が継続(15:36;中)している峡谷を眺めつつ、列車は急勾配を下り(右中)、ゲッシェネンに近づく頃にゴッダルド峠鉄道トンネル(15km、開通1888年、事故死者177名)の入り口が見えた(15:43;右)レアルプには≪氷河急行≫が停車していた。

 スイスパスを活用して巡ることが主目的の身にとって、Regioに乗車した結果は、大正解!
 つまり、全く想像しなかった驚きの車窓風景が展開し続けた。まずは、フルカ峠から下る際に渓流が小川となり、次第にしっかりした河川になって、東方へ道路と並走していたのがロイス川◆。このロイス川がアンデルマットから流れを北に転じて、峡谷となる。迫力を持って流れ下る急流を左手に見つつ、窓から顔・手を出して撮っていた。そう、ヒロさんと共に、感嘆符の声付きで!
 フト気づけば、初老のガイジン男性が、右側車窓に導いてくれた。何と!事前学習で写真を記憶していた“悪魔の橋”が招いていた。狭く深い峡谷に怒涛の激流!! 声を上げ、撮った。撮れていた!!
 この間、少なくとも小生の心は少年のごとく・・・。“悪魔の橋”は、「悪魔と敵対するかのような厳しい環境の下で建設され・・・」とある。難工事が強いられ、殉死者を多く出した急崖・峡谷だと理解し得た。
[◆:ロイス川はルツェルン湖に入り、ルツェルン市街を抜け、ライン川に合流すると知った。]
 現在、スイス南部やイタリアに向かう列車はゴッダルド峠を全長15kmのトンネル(死者177人を出して、1888年に開通)で抜けている♪。ゴッダルド峠の道路トンネルは1980年の開通だが、53人の犠牲を出している。これらにより、四方を峠に囲まれているアンデルマットは観光・トレッキング等を主体とした観光地になっており、鉄道はローカル線、≪氷河急行≫が走る観光路線に留まる。
[♪:現在、完成すれば青函トンネルを超え、世界最長となる全長57kmの鉄道トンネルの工事中で、政府は死亡者を10人以内に留める方針だが、現状で7人の死者が出ている。現在の鉄道路線も観光用に残ろうが、主要都市間を結ぶ特急は車窓風景を放棄し、長大トンネルを通過することになる。]
 さて、一駅間を走る地域列車Regio 648は、アンデルマット(Andermatt 1444m)からゲッシェネン(Göschenen 1111m)までの3.71kmを15分(時速14.84km)で333m下る。車窓は、崖を見上げ、渓谷の激流を見下ろし、雪崩・落石から守る覆道や岩盤を掘ったのみのトンネルの連続。カーブがきついと金属が擦れる金切音を響かせながら、ロイス川のゲシェネン渓谷をアプト式鉄道で下った。調べ、急勾配は179-181‰と分かった。
 悪魔に導かれた不思議な現象について補記しておく。今回催行を決めた前夜に上記R648に乗ることになった。が、その後は(2015年7月27日時点で)グレッチからアンデルマットを経由してメイリンゲンに行くルートを検索するとポストバスをアンデルマットで乗り継ぐことで目的が達成される。つまり、R648は選択肢に出て来ない!つまり、悪魔に導かれてR648乗車体験ができたと認めている。

2224mのスステン峠に向かう道路も車窓に広がる景色は雄大(16:47;左)で、峠界隈でスステンホルン、シュタイン湖が見えた(16:51;左中)。下が道路トンネルになっている美滝(中)や氷河が俯瞰できるバス駅(Steingletscher シュタイン氷河)で20分の停車(右中)。時間内にバスに戻った(17:13;右)

 ゲッシェネン駅から、再びポストバスに乗った。ゲッシェネン始発と思い込んでいたが、不思議なことに、バスの前方・中程の座席が、ツアーと思える中高年の女性を主体としたお客で埋まっていた。で、座席は最後尾に求め、スステン峠に向けた。この間も絶景の連続!
 この峠道は3つの絶景峠巡り路線の中では近年に整備されたこともあり、バスは快走を続けた。急坂を登り下りする際は例外として、ヘアピンカーブは減り、よって、ポストバス特有のクラクションが鳴る機会が減った。雄大な車窓風景を左右・後方に眺めつつ、撮り続けた。
 スステン峠(Sustenpass 2224m)では、氷河を抱くスステンホルン(Sustenhorn 3503m)などやシュタイン湖(Steinsee 1940m)を俯瞰。峠を下り、バスはシュタイン湖に近い所で20分の観光休憩。
 中高年のガイジンさんたちは近くの農家の売店方向へ。われわれ“若者コンビ”のみ、攻めの速度で登り道を歩き、シュタインジーバッハ(Steinseebach:シュタイン湖から流れ出る白濁した川)に架かる橋の先、氷河に被われた山系とシュタインヴァッサー(Steinwasser:雪渓が溶けて裾野を流れる渓流)とを仰ぎ見ることが出来る地へ。界隈は谷底に近い地形だが、360度の景観が楽しめた。
 バスで降りて来た道路のトンネル部分に水流の多い見事な美滝(Wyssebachfall)があり、これも見上げ望遠撮影した。ヴィセ渓流滝と道路・トンネルのコラボ写真はポスターにも使われているが、走行中ゆえ、良いアングルでの撮影は出来なかった。が、観光休憩中に、見上げて、しっかりと撮れたことは幸いだった。氷河や足元のせせらぎを含め、多様な写真が撮れたことも嬉しかった。
 ゲッシェネンでの乗車時に、バスの運転士はわれわれ少年二人が終着のメイリンゲンまで乗ることを確認してくれはいたが、それでもダイヤ通りに運行するのが基本ゆえ、ポストバスに遅れたら大変!それも帰国前日なので・・・。5分前にはバス至近地に戻った。
 その後のガトメン(Gadmen)谷を下る路程は、山岳部の迫力あるヘアピンカーブを快走し、やがて農家が散見される頃には安堵感を覚えた。スステン峠から1600m余を降りてマイリンゲンに着き、電車で、未だ陽光が残る基地、つまり、グリンデルワルトに到着し、一段落した後、宿泊ホテル至近のレストランに出かけた。
 3つの絶景峠を巡った感動のポストバスの全日旅を祝し、かつ、スイス最後の夜は、またもやフルーティでコクのある白ビール(Erdinger)で乾杯! チーズフォンジュ、シュニッツェルなどを堪能した。再々訪れたレストランの職員に顔を覚えられ、遊ばれた。
 至近の宿泊ホテルに戻ると、経営者の夫婦とお仲間が玄関先で飲食・歓談中であった。7連泊最後の夜であることを告げ、感謝表現を。夫婦と共に、Vサイン・笑顔の4人が撮れていた。

※ 本稿は鳥取県東部医師会報 随筆欄に掲載・連載(レイアウトは異なります)

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