スイス悠々
[スイス悠々] 4 4つの湖を船で巡る
スイスに到着した土曜日(2015/6/27)午後から火曜日(6/30)夕刻まで、山を歩き続けた。とくに、全日快晴に恵まれた火曜日は自身の願いから夕刻にオエシネン湖(Oeschinensee)に立ち寄った。この際も、限られた時間内、登り道で攻めの歩きをした。このこともあり、ヒロさんが大腿部の疲労感を訴えてきた。彼に言わせると、泳ぐ、自転車を漕ぐ、マラソンをする際の筋肉と山道を上がる筋肉が異なる由で、かつ、西欧初体験の心的要因も加味してのことと理解した。夜、自室でスイスパスの特性を活かした企画をし、当日の朝、“ミステリーツアー”と言い、行程を敢えて告げずで、彼の了解を得た。
1時間余のブリエンツ湖クルーズ | ブリエンツ駅前桟橋で《ユングフラウ》に乗船(10:26;左)。対岸にはギースバッハ滝(10:47;左中)。桟橋に停泊中の船(11:27;右中)。インターラーケン・オストへは船首を上流に向けて、駅至近の桟橋へと徐行。船尾で航行の安全を確認する船員との戯れ(11:47;右)
ホテル発は、観光船の出発に合わせ、ゆっくり。基地のグリンデルワルトから定番的にインターラーケン・オスト駅に出て(地図 黄線)、ルツェルンへの観光電車[ルツェルン-インターラーケン エクスプレス]に乗換え、ブリエンツ(Brienz 566m)で下車した。駅前に桟橋があり、カラフルな観光船が停泊していた。一方、駅から山側には登山鉄道(ブリエンツ・ロートホルン鉄道Brienz Rothorn Bahn)の始発駅がある。
“ミステリーツアー”として出発したことで、この時点では明かさず、「エーデルワイス、エンツィアンが描かれている船は《JUNGFRAU (ユングフラウ)》号か・・・、良いナァ!乗ってみたいネ!」などと戯言を話しつ、記念撮影をした。乗船口まで歩んで、パスを出して、乗船した。彼も続いた。
なお、ロートホルンへの登山鉄道は、スイスで現存する唯一の蒸気機関車が急勾配を(アプト式レールで)押し上げることで著名(www.brienz-rothorn-bahn.ch/jp/)であり、機会があれば体験したい。
が、スイスパスで半額となるこの登山鉄道に乗れば、またもや山を歩き回るので、今回は没企画!
観光船は10:40に出航し、ブリエンツ湖の南側・北側の各桟橋に立ち寄りながら、インターラーケン・オスト(Interlaken Ost)に11:53着。目にする光景の全てに心を奪われつつの秀逸な1時間余だった。
下船し、駅に向かい、次のトゥーン湖クルーズのため、インターラーケン・ヴェスト(Interlaken West)への移動となる。この時点ではヒロさんに足休めの観光船での湖巡りの計画を話し、了解を得ていた。
ホームに上がったらICE(Intercity-Express)が停車していた。列車番号ICE276は、スイス国内は北進し国境のバーゼル(Basel SBB)行だが、終着駅はベルリンで、ドイツが誇る最高速度320km/h.の高速列車。1等車4両、食堂車、2等車7両で、両端に電気機関車の14両編成で、インターラーケン・オストが始発。保有のスイスパスは2等車用。2等車はスーツケースを持つ人で各乗車口が混んでいた。
食堂車に乗り込んだ。自身、ホテル自室にペットボトルを忘れての出発であり、水が欲しかったこともあった。出発前の食堂車でコーラを注文(容器はリュックに入れ、要所で湧水・水道水を補給)した。西欧初体験で、勿論、食堂車も初めてのヒロさんは「水と価格が変わらない!」と喜んでビールを注文し、優雅に飲み干した。出発後は西駅まで3分の乗車。が、異文化体験研修時間としては十分だった。
インターラーケン・オスト駅の桟橋に《BRIENZ》号が停泊(左)。ICEの外観とホームに掲げられた情報、食堂車内(中)。インターラーケン・ヴェスト駅には乗船するトゥーン湖クルーズの《STADT THUN》号(右)
インターラーケン・ヴェスト駅での乗船も初体験で、ICEから降りてホームを駅前の繁華街に出て、桟橋の場所が不明・・・。ヤバイ!
通行人の彼女に尋ねたら、「地下通路に降りた反対側」を示した。(ン?!そりゃそうだワ!)
駅ホームの東側至近に桟橋があった。(感覚的には電車ホームと桟橋は一体になっている近さで)ヤレヤレ出航に間に合う。安堵。
船は白基調の《STADT THUN (トゥーン市)》号で、写真整理をして分かったのは、オスト駅に停泊していた《BRIENZ (ブリエンツ)》号の僚船であること。が、ブリエンツ湖とトゥーン湖間のインターラーケン市内を流れるアーレ川を船は行き来できないので、両船が並走する機会はない。
《STADT THUN》号は船首を上流であるインターラーケン市街中心部、ブリエンツ湖側に向けて停泊していた。今回、本稿を執筆するに際して地図で確認したら、クルーズ船が停泊していたのはアーレ川#と異なり、観光船を駅至近地から発着させるための専用運河“Interlaken Schiffskanal (Interlaken Ship Canal)”だと知った。
[#:グリムゼル峠界隈を源流とし、首都ベルンを流れ、ライン川に合流]
12:10定刻に出航。と言っても、船尾をトゥーン湖に向けたままの緩徐後進。トゥーン湖の沖合に出てから進行方向に船首を向け、速度を上げ、白い航跡を残しながら進んだ。
間もなくリゾート地区と判るゾーンの桟橋へ。何と、ビキニスタイルの若い女性などが飛び込み、泳いでいた。桟橋の名はNeuhaus (Unterseen)。インターラーケンからすればトゥーン湖は下流域にある湖ゆえUnterseen(Under lake)で、Neuhausは、ベルギーの王室御用達のVIPなチョコレートで愛好しているが、New houseつまり新しい家。となれば、新開発地区ということか・・・。トゥーン湖の水温は日本周囲の海水温より低いに決まっている。冷水と言える湖水での水泳・・・。文化の違いを感じた。
インターラーケン・ヴェストを出航後、トゥーン湖クルーズ最初のNeuhaus (Unterseen)(左)はレジャー地区。停泊する各桟橋界隈はレストランなどで賑わい、古城もあり、各々がリゾート地だと思えた(中・右)
ブリエンツ湖クルーズは素晴らしかった。そして、トゥーン湖クルーズは、より上質で、風光明媚な環境にあることを肌で感じた。スイス政府観光局の解説を引用する。「中世の頃からアルプスを望む風光明媚な湖」「トゥーン湖クルーズの歴史は古く・・・」「現在のBLS交通(BLS AG)の前身となる汽船会社が、1836年に蒸気船での定期運航をスタート」「現在でも人気のトゥーン湖クルーズでは、アイガー、メンヒ、ユングフラウの三名山に代表されるベルナーアルプスの山々や、かつての王族・貴族の居城として建てられた美しい古城などの美しい眺望が楽しめる」とある。が、アイガー等が見えない?!
終着のトゥーン市に近づいた頃、ヒロさんが指し示して「あれは?!」と。「メンヒとユングフラウが見えている!」。高山ゆえに、インターラーケンから離れてから見え始めていたことになる。肉眼では明快に見えるが、通常モードで撮ったら小さい。望遠撮影すると、明快度が落ちる。再度、乗船機会に恵まれたら、船首方向の景色に見惚れず、後方、つまり、南側も意識的に眺めることにしよう!
トゥーンの桟橋には定刻14:20に到着。2時間10分のトゥーン湖クルーズを終え、桟橋の至近にある同駅から電車に乗り、ベルンで乗換えて、ヌーシャテルに向かった。
スイス国鉄のHPで調べると、桟橋至近のトゥーン駅でInterCityに乗り、ベルンで、同始発ヌーシャテル行の近郊電車 Urban trainに乗換えると分かる。ホームの12Aは、長いホームのAゾーンを示している。各々、発着時刻、ホーム情報や、アイコンをクリックすると停車駅情報や地図が得られるので、利便性が高く、安心です。
ヌーシャテルに出かける狙いは、やはりクルーズ。スイス国内に限られる湖では最も広いヌーシャテル湖と運河で結ばれ船が行き来するムルテン湖/モラ湖、ビール湖/ビエンヌ湖はベルンの西側に位置する。この地方はドイツ語圏とフランス語圏の境界域にあり、地名も併記されている。ヌーシャテルはフランス語圏に属し、街の雰囲気は(映像での理解に基づくが)南仏をイメージさせる。
当初計画では、朝陽に輝くベルンの旧市街を歩き、ヌーシャテルの街を歩き、同湖をクルーズし、憧れの(!)運河を経由し、モラ湖をクルーズした後、“小ベルン”と称せられるモラの旧市街を散策。次いで、電車で移動し、高低差が大きく、上の街・(谷底の)下の街に分かれるフライブルク/フリブールの街を、夕陽に輝く環境での散策。さらに、再び、ベルンに戻り、夜の賑わいと共に、スイスでの最後の夜に祝杯!と、つまり、最終日の金曜日に巡ることを想定していた。
が、結果的には好天が続き、旅程前半に街の散策よりも山歩きが優先することになった。思いがけず、筋肉疲労を訴えた彼のために、ヌーシャテル湖とモラ湖の2湖クルーズも含め、急遽計画した次第。
観光地としては“田舎”に属する2湖のクルーズは便数が限られている。運航ダイヤを優先し、行程を決めることになる。
調べ、夕刻にヌーシャテルを17:25に発つ最終の42便(と言っても2湖巡りは1日3便のみだが・・・)に乗船することにした。このルートもスイスパスが使えるので、差額料金は発生しない。
ヌーシャテル駅に着いて、適当に歩き始めた。丘陵地にあり、湖に向けて、下って行けば良いし、駅の西方に旧市街があると分かっていた(:事前に地図をオツムに入力済で、距離感も分かっていた)ので、呑気に歩いた。旧市街は蜂蜜色が主体の建物が続く。蜂蜜色と言えば、イギリスのコッツウォルズが有名だが、ヌーシャテルの色合いが明るく輝いている。
飲料可能な噴水で子どもと戯れ、手に救って冷水を呑み、ペットボトルにも冷水を満たした。
木々に包まれ、テーブルが並ぶ広場でジェラートを目に留め、マンゴーとメロンのダブルを注文し、地元の人たちと同様、屋外席に座して味わい・・・。湖畔に出て、またも泳ぐ人を目にし、木々の木陰で憩う若人たちなど、その様子・雰囲気はまるで南欧。 新市街に位置する港に近づくと、音が賑やかだった。似つかわしくない、喧噪ともとらえた音は、移動サーカスが公演しているためだった。致し方ない。
港にはカフェバーのスタンドがあり、周囲には屋外席が並ぶ。雰囲気に浸るべく、出航前のひと時、好天に恵まれたことへの感謝を含め、ビールで乾杯した。
木々に包まれ、テーブルが並ぶ広場でジェラートを目に留め、マンゴーとメロンのダブルを注文し、地元の人たちと同様、屋外席に座して味わい・・・。湖畔に出て、またも泳ぐ人を目にし、木々の木陰で憩う若人たちなど、その様子・雰囲気はまるで南欧。 新市街に位置する港に近づくと、音が賑やかだった。似つかわしくない、喧噪ともとらえた音は、移動サーカスが公演しているためだった。致し方ない。港にはカフェバーのスタンドがあり、周囲には屋外席が並ぶ。雰囲気に浸るべく、出航前のひと時、好天に恵まれたことへの感謝を含め、ビールで乾杯した。
入港してきた小型のクルーズ船に乗る前、船員を促して、3人での記念写真を撮るなど、過度の日焼けとアルコール効果による赤ら顔で遊んだ。トゥーン湖、ブリエンツ湖巡りがスイスで一級のクルーズなら、ここは非常にローカルで小型の観光船。催行した理由は田園地帯(と言っても稲作があるわけでなく、畑・牧草地帯)にある運河を航行すること。自身、還暦年以降、夏季になるとカヤックを続けていることもあり、田園地帯の小さな運河となれば、関心が高まる。
入港してきたクルーズ船(左)。出航後間もない上甲板からみたヌーシャテルの街(左中)。ヌーシャテル湖を南東端まで移動すると、低速になり、運河に入った。運河の環境は、静寂で極めて上質だった(右中・右)
ヌーシャテル湖から運河に進むゾーンは湿地帯になっており、野鳥が多かった。湿地帯を抜けると木立に囲まれた静寂な、かつ、無風に近い好天であったので、鏡のような河面が空の青と木立の緑を映して、実に美しかった。船は、湖を航行していた際と異なり、エンジン音を落として、静かに滑るがごとくの速度で進んでいる。このこともあり、静寂さが保たれた環境はすこぶる心地良かった。
水着姿でサーフボードに立ちパドルを漕ぐ人と並走しカヤックを漕ぐ女性、ゴム製のボートを漕ぐ父子や、高校生と思える女の子たちが日本では見かけない大型のゴム製の浮き台を基地にして戯れる様、そして、モーターボートが静かに航行する様子などに魅せられた。運河を進んでいた時間帯は、7月1日水曜日の18時過ぎ、つまり、平日の夕刻だが、日本ではどうだろう・・・。豊かさとは・・・。
運河を抜け、ムルテン湖/モラ湖に出ると、船は速度を上げ、北岸の2か所に寄港した後、ムルテン/モラの桟橋に着いた、帰路の電車に乗り遅れないように、急ぎ足で旧市街を歩いたことは残念だが、次回、必ず訪問する機会には時間にゆとりを持ってと念願し、4湖巡りを終えた。
※ 本稿は鳥取県東部医師会報 随筆欄に掲載・連載(レイアウトは異なります)